1962年、大阪に生まれる。「’82ミスインターナショナル準日本代表」などの栄冠に輝き、モデルやTVのアシスタントとして活躍。1984年に交通事故で頸椎を骨折し、下半身にハンディを負う。車椅子陸上競技世界大会では金メダルを獲得。2004年アテネパラリンピック射撃日本代表。良き理解者でもある夫、伸行氏との関わりは介護者と被介護者の理想的スタイルの1つとも言える。現在は執筆や講演、NHK障害福祉賞審査員など、ハンディをものともせず生き生きと活躍する彼女に様々な人々がエールを送っている。
世の中では、私達の想像以上のスピードでユニバーサルデザイン(UD)が進んでいる。今は私も、都内の移動には公共交通機関をよく利用するようになった。以前は、車いすでの移動は、点と点が線にならず、頻繁には乗らなかった。つまり、目的地の建物には段差がなくエレベーターがあっても、そこへたどり着くための駅には階段かエスカレーターしかない、といった具合だ。行ってから戻ってくるまで車いすでの動線が繋がらない。そのため、車いすユーザーにとっては自家用車が主な移動手段であって、自立するためには運転が必須だった。両下肢だけでなく、手にも障がいがある人でも、車の乗り降りや車いすの積みおろしを独りで出来るよう、必死になって習得した。
それが、今やあらゆる施設でUDが進んだ恩恵で、移動はずいぶんと楽になっている。職場まで、毎日電車で通勤する車いすユーザーも多い。私の友人も、以前は満員電車に乗る際、鋭い視線を向けられることもあったそうだが、今や、すっかり当たり前の風景として周囲に溶け込んでいるという。障がい者に対してだけでなく、外国人に対しても同様で、例えば、頭にベールを被ったイスラム圏の女性と同じ車内で逢う内に、次第に会話が弾むようになり、お互いに助け合う仲になっているという。
公共交通機関では、バスのUDも目覚ましい。通常、車いすの乗客は後部ドアから出入りするが、床からスロープが引き出せたり、折り畳み式のスロープを使うタイプなどがある。車内には、車いすのみならず、ベビーカーが動かないように固定できる専用スペースもあり、狭い空間に様々な工夫が見られる。ただ、すべての操作が運転手さん独りに集中するため、通常の乗降と比べて余分な時間が掛かる。車いすユーザーとしては他の乗客への気兼ねもある。そのためか、車いすユーザーの利用は電車ほど多くはない。
かつては、助けられる立場と思われていた障がい者や高齢者も、UD化により健常者と一緒になって社会で活躍する機会も増えてきた。それが、成熟した社会だと思う。東京2020は追い風だ。それがゴールではなく、ひとつの通過点としてさらに発展した、豊かな日本になってほしい。