1962年、大阪に生まれる。「’82ミスインターナショナル準日本代表」などの栄冠に輝き、モデルやTVのアシスタントとして活躍。1984年に交通事故で頸椎を骨折し、下半身にハンディを負う。車椅子陸上競技世界大会では金メダルを獲得。2004年アテネパラリンピック射撃日本代表。良き理解者でもある夫、伸行氏との関わりは介護者と被介護者の理想的スタイルの1つとも言える。現在は執筆や講演、NHK障害福祉賞審査員など、ハンディをものともせず生き生きと活躍する彼女に様々な人々がエールを送っている。
22才の夏に事故に遇って以来、車椅子の生活をしている。早35年が経過した。その頃の街では車椅子の人を見かけることもなく、情報も入ってこなかったので、退院後の生活を全くイメージできなかった。「私は将来、家で引きこもっているのだろうか」と暗澹たる気持ちになったものだ。
通常、障害を受け入れるには、4つの段階を通過するという。始めは絶望、次に自分を責める、そして諦念。その先が受け入れる気持ちだ。最後の「受け入れる」が、実は一番困難だ。嫌々ながら受け入れる場合もある。本人としては心から受け入れたいが、もがいても努力しても本心は簡単には変えられない。これは人には見えにくい。表面上は明るい自分を演じている、他人に、そして自分にも仮面を被っている。その後の経験や葛藤、周りの人の支えがあって、ようやく霧の晴れた心を取り戻せた。
人は弱いようで強い。受傷当時の苦しさやリハビリを「キツかった」と記憶していても、微細には覚えていない。忘れるから前を向いて生きていけるのだ。今はネットの情報や障害者雇用の伸び、人の理解が進み、以前より早く自立を助けてくれる。
障害を持つアスリートの元気な姿が次の障害者を支える、などと思っていた。それには受け入れる側の時期にもよる。まだ、十分に受け入れられず留まっている人もいる。私はそういう心の動きを、いつの間にか忘れていた。
人は強いようで弱い。アスリートを見て、「私には無理、頑張れない」「障害が確定するようで見たくない」と思う気持ちが先に立つ。障害を受け入れることは怖くて当然だ。自分もそういう時を経験した。じっと目を閉じて初心に思いを馳せてみる。まるで、たった一人、静かな沼に沈んでいくような怖さと焦り、でも何とかしたいと、もがく自分がいた。決して相手と代わることはできないが、理解しようとする気持ちは伝わるはずだ。アスリートのようなすごい人を見せる必要などない。その頃の思いを共有すること、それが寄り添うということではないか、と思う。
アテネパラリンピックまでは
エアライフルで出場
その後、現在もカーリングや
火縄銃を続けている
車椅子のファッションショーに参加
子供たちに「命の大切さ」の講演