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1962年大阪生まれ。「’82ミスインターナショナル準日本代表」の栄冠に輝き、モデルとして活躍。1984年に交通事故で頸椎を骨折し車いす生活となる。車椅子陸上競技世界大会では金メダルを獲得。2004年アテネパラリンピック射撃日本代表。2016年車いすカーリング日本選手権準優勝。良き理解者でもある夫、伸行氏との関わりは介護者と被介護者の理想的スタイルの1つとも言える。現在は執筆や講演、NHK障害福祉賞審査員など、ハンディをものともせず生き生きと活躍する彼女に様々な人々がエールを送っている。
相手の都合や顔色を見ながら自分の行動を変えることは誰しも有ります。しかし、ほとんどの行動が相手次第で決まるとしたら、自分の自由度は狭まり、気持ちも萎縮します。車いす生活になった直後の私がまさにそうでした。車いすに乗るにも、どこかへ出かけるにも誰かの手助けが必要で、当然、相手の都合は無視できません。リハビリによって、少しずつ自分のことが出来るようになり、車の運転もするようなった時、“用が無くても出かけてもいいのだ”という自由を手に入れました。身体も軽くなった気がしました。一般の人が当たり前に持つ自由を、少し取り戻せたと思いました。
「当たり前のこと」が手に入る重さは、それを無くした時にはじめて気づきます。
実は、障害者にとっての車いすは自由をくれるツールなのです。颯爽と操り自在に動ける車いすバスケット選手と、やっと漕げる人、他人の力を借りて押してもらわないと動けない人の自由度は違います。その車いすを電動に変えると自由度は、さらに増します。一人で操作できれば、自分の判断で外出も可能です。
さらに、出かけた先の設備や環境によってもその自由度は変化します。東京の交通機関の中で、例えばJRの乗降では、私は駅員さんの手を借りています。ホームと電車に隙間があり、その段差も大きいのでスロープを出してもらいます。一方地下鉄では、車いす用に隙間や段差を無くしたホームがあり、勝手に乗り降りできるケースも増えてきました。駅員さんを待つ必要がないため時間も読めますし、余計な気兼ねが無くなりました。以前と比べ自由度が増えたわけです。
つまり、どこに住んでいるか、いつの時代に生きているかによって、自由度は一定ではなく変化するのです。これからAIなどの進歩で、さらに自己完結で行動できる場面は増えるでしょう。先代の努力に感謝し、それを受け継ぎ次世代へと、更に大きく発展することを期待します。その恩恵を十分に活用し自己実現していくことが、私にとっての「今を生きる喜びかな」と思っています。
幸せを感じながら生きることは、誰か別の人を幸せにできるバトンを持っていることです。そのバトンを誰かに渡せたら嬉しいと思いませんか。